2018/06/13
高田馬場駅(JR山手線・西武新宿線・東京メトロ東西線)徒歩3分リリーベネイル代表 食いしん坊アンパンマン顔ネイリストのよこいあいです。
自己紹介です。
ネイリストになったきっかけは爪へのコンプレックスから 自己紹介②
憧れのネイリスト先生のサロン就職〜ネイルサロン独立開業まで 自己紹介⑤
↑こちらを読んでからの方が、分かりやすいかなぁと思います。
横井亜衣(よこあい、あいぱん、あいちゃんと呼ばれてます)
リリーベネイル代表 ネイリスト(日本ネイリスト協会認定講師)2012年1月~現在
ネイリスト歴13年。
6年間ネイルサロン3店を経験し、独立開業。
好きなこと/アクリル画を描いてます。写真SONY一眼カメラ、マクロレンズ。キックボクシングを習うこと。
生まれて初めての救急車
2012年1月に高田馬場に自身のプライベートネイルサロン「リリーベネイル」をオープンし奔走中。休むことが怖くて休めなくて3年が経った頃のこと。
大切に育ててもらってたので結構健康優良児で、たまーに風邪引くことはあっても入院や病気をしたことなったわたし。
それが大人になってアレルギー性喘息になりました。季節の変わり目に出やすいようで、今は4年くらいの付き合いです。
初めてなった年は、付き合い方が分からなくて、とにかく酷い咳が常に出続け、夜は特に酷くなって眠れない。それが三ヶ月続いて、息を吸うと肺が痛くて、半分くらいしか息吸えない感覚でした。
ある夜眠ろうと横になると、息を吸うと激痛で、呼吸出来なくて。これは?!おかしい!!と異変を感じて、「救急車その前に#7119」という電話番号へ掛け、症状を話すと「今すぐ救急車を呼んでください」と。
救急病院で診てもらったら、胸膜炎でした。咳が続いたことによるもの。横隔膜の上にある胸膜というところにお水が溜まそうで、酷くなるとチューブを入れて水を抜かなくてはダメだけど、そこまで酷くないから、薬で大丈夫ですよと。そのあと咳喘息内科の専門病院へ招待状を出されて通ってました。
ボキッと聞こえる、初めての骨折
その病院に通っていたとき、そんなに身体にガタが来てると思わずに歩いてたんです。少し歩くのもしんどくて、駅から数分の距離を何度も休憩しながらやっと病院へ着いたとき。待合室の椅子に座ろうとかがんだ瞬間ボキッ!それから質の違う痛みに変わりました。生まれて一度も骨折したことなかったけどすぐ分かりました…(折れたな)。
そのまま1番近くの外科へ手配してもらい、涙を浮かべながら行く。レントゲン見たら肋骨が綺麗に分裂、折れてました。気づいてないけど反対側はヒビが入っていて、両側だった~。
本当にこの頃身体が散々でした!!笑
それでも休めなくて、ご予約のお客様はやってました。逆に言えば休まなくてもできる仕事で有難いし、また逆を言えば個人の技術者なので会社からなどなんの保障もない。やるしかない!病院代ばっかりめっちゃかかってたし!
東京の一人暮らしの切なさったらなかったです。駆けつけてくれたお友だちには本当に感謝です😭
その時、咳や骨折やら重なって、元気になったのはたぶん半年くらい掛かりました。不自由な思いをして、健康への有り難みを痛切に感じました。
治ってからキックボクシングジムへ通い始めました。健康のためです。
しあわせな仕事の仕方について考える
「動かないで休むのが一番早く治りますから、動かないでください」
このとき、自分の仕事の仕方についてめっちゃ考えました。これでいいのかな?
その頃横になりながらいろんなブログやらを読んでビジネスやマーケティングの勉強をしようと思いました。本を読んでいて治ったら直接会いに行こうと思う先生がいて、初めてマーケティングの勉強会に参加しました。
勉強することは自由になること。
今も生きてる限り勉強なんだなと思っています。模索しながら、進む。これしかありません。
それから毎週火曜日を定休日にしました。
ネイルが大好き。人と話すのが好き。人が好き。だからネイルなんだなぁって思います。
初めは、ネイル自体が好きで始めました。
今は、ネイルを通して“喜んでいただけることが好き”なんだなって気づきました。
ネイリスト13年目ですが、今まで培って来た技術やら、絵を描くという特技で、人様に喜んでいただけること。笑顔を交わせる、心を通わせられる。それがわたしにとって“ネイリストという天職”です。
今は、健康にも気をつけながら、皆さんに支えられて独立開業7年目です☺